この展覧会では、昨年末解散した維新派の記録や遺産をめぐって、【記憶の劇場】というプロジェクトの参加者が3年ちかく取り組んできたことがらを、維新派と様々なかかわりを持つ方々の力を借りて発展させます。Reenact、Remember、Repl@yという動詞が、失われたものを囲んで記憶を紡ぎ、未知なるものに繋ぐアクションとして、また、分解すると継承のヒントになるコンセプトとして、3つの展示ゾーンとイベントの核にしています。
私たちの活動は、『記憶の劇場』*という大学の市民向け講座の1つとして行われています。
現代の上演芸術が、公演や活動を終えた後でも語り継がれてゆくように、出来事をどう記録するのか、記録として残されたものをどう扱っていくのかについて**、芸術家や専門家と話し合いながら、日々模索しています。
京阪神は、ユニークな上演芸術の形態が、いくつも世代を超えて続いている、希有な演劇都市です。さらにその創作の少なからずは、多文化に特徴づけられる地域の言語や歴史のドキュメントと受けとめられる。そうした魅力的な活動体***の一つとして、私たちは維新派[リンク:http://ishinha.com]の記録に取り組んできました。
いざ現場に入ると、「何もない野原に劇場を築いて行い、公演が終わればまた更地に戻す」という独自の手法をとる演出家の松本雄吉さんは、「維新派」を記録し残すということに全く興味を持っていなかったというエピソードを、関係者から繰り返し聞かされました。私たちは「維新派の何を記録するのか(=何を継承していくのか)」「記録されたものはどのように再利用されるのか」について、さらに考えなければいけませんでした。
2016年(初年度)に、受講生が見いだした解決は、次のようなものでした。
・劇場の建設から解体・消滅までのプロセスを記録したドキュメンタリー映像
・劇場や屋台村を裏で支えるスタッフのへのインタビュー映像
・観客が自宅から劇場へやってくるプロセスを写真と言葉で記録し、加工した映像
いずれも従来よく目にする”作品”のレコードではなく「場の生成」「作品づくりに関わるスタッフ」「旅人としての観客」といった、注目されないながらもなくてはならない要素を集めて再構成したものを「維新派を記録することの意味・さらなる行為を誘う記録」として扱うことにチャレンジしたのです。
活動の最終年度である本年(2018年)は、このチャレンジをさらに拡大させます。大学内の博物館に縛られず、街中の展示スペースでより多くの方との接点を持たせ、トークイベントやワークショップなども実施してゆきます。そ維新派に様々な関わりを持つ方とともに、開かれた想起の場をつくる「旅する展覧会」と、維新派を知らない世代にヂャンヂャン⭐︎オペラの魅力を体感してもらうための高校への出張ワークショップ「旅する台本」を通して、「維新派とは何だったのか」「集められた人々の記憶をどう再利用していくのか(どう継承していくのか)」「何を遺せば、未来の創造的なアクションや地域の文化遺産の継承につながるのか」といったことに踏み込んで考えていこうと思います。